おせっかい
The Meddle



NO.7「第12回 映画鑑賞会」 2006−8−31
去る20日の日曜日に「釣りバカ日誌17」を観にいった。料金は一律1000円で海老名のトーホーだとプレミアシートで観られるということが魅力だ。
参加者 私、シャキ、課長P、マーリコ、ママ、番長ヨッシー、マック、シン、ミナ、
      セーコママ、嫁、ナツの12人。
昨年も16を観にいってそれが大変面白かったので今回も参加者が多かった。
今,日本では喜劇が少なくなってるがそれは大変憂慮すべき事態なのである。「釣りバカ」のようになんの主義主張も無く、非現実的でおかしいだけの作品はどの時代にも絶対に必要なのだ。
笑いこそが幸せの原点なのである。
西田敏行扮するハマちゃんの部下に石田ゆり子が配属される。彼女はとっても美しく優しく会社の人気者なのだがバツイチなのである。かつての配偶者は高学歴高収入で優しかったが仕事が傾いていき、次第に暴力を振るうようになって離婚。勿論、石田が殴られている回想シーンは無い。「釣りバカ」にはそんなリアリティーはいらないのである。
離婚した傷をいつまでも引きずっている美女には男が群がるものである。それをうまくあしらうのが再び不幸にならないコツである。しかし石田は軽い。妻子持ちのハマちゃんと二人きりで舟釣りに出かけるわ、向かいのアパートの若い男を連れ込むわ、二度会っただけの船頭に簡単に部屋に上がられるわ・・・
さほどの付き合いがないまま向かいのアパート住人と結婚することになる。ヒジョーに軽い。この向かいの住人が軽薄でアル中。彼女の実家の能登まで結婚の挨拶に行くが、行きの車中でビール飲みまくりで実家につくや、主が留守だというのに上がりこみ、まともな挨拶もしないままにRCサクセションの「僕の好きな先生」を歌いだす始末。前夫の暴力男とさほど変わらない酷さである。ダメな男が好きな女は一生ダメな男に振り回されるのだ。
石田の兄、片岡鶴太郎は当然のように怒る。私も怒った。RC歌うなら「スローバラード」か「トランジスタラジオ」だろうが。
鶴太郎氏は25年前近藤真彦の真似をして歌をがなりたてながらスタジオのセットを壊しまくってたり「ゴーストブスターズ」なんて歌を出してたのに、そんな過去はおき忘れ、もっともそうな事をいって男を追い返すのだった。
しかしすぐに結婚を認める。なぜなら「釣りバカ」だからである。
最期はお決まりのハッピーエンドとなるが、数年後石田がバツニになるのが誰の目にも明らかな、実に教訓めいた作品であった。

NO.6「第四回 映画鑑賞会」 2005−8−30
去る28日の日曜日に「スターウォーズ エピソード3」を観にいった。海老名のトーホーはいつも満席で今まで二回も入場を断られた。しかし今回は午前中に行ってなんとか席を確保した。
参加者 私、課長P、親方ヨッシー、マーリコ、ママ、マックの六人。
スターウォーズは今作が六作目で私はいずれも観ているがどれもコレも面白いと思ったことは無い。第一作は娯楽としてそれなりに楽しめたが内容は無いに等しい。内容といえば第三作で善と悪の聖書的世界観を提示した辺りしか思い当たらない。
エピソード1からの新シリーズではそこを核にして作って行ったようだ。つまり類まれな能力を持った者が正義から悪に身を落としていく様が描かれている。
アナキンという青年は素晴らしい能力を持っている。何が素晴らしいか?それは彼の殺傷能力である。つまり一人で何人も殺せる訳だ。一人デルタフォースというかランボーというかゴルゴなのだ。
その能力に目をつけた敵方がヘッドハントするというのが今回のお話。
アナキンは女房がお産で死ぬ夢を見る。その夢に怯えまくっている時に敵の親分がやってきて「俺の味方になれば女房を救けることができるぞ」と誘惑される。普通ならこんあ言葉信じる筈もないし、寝返るにしても結果を見てからにするだろう。だがアナキンは腕力はあるが頭は滅法弱いらしく、こんな見え見えの言葉を真に受けて味方の女子供を殺しまくる。セールスマンの口車に乗せられて先物取引に手を出して全財産を失うタイプである。というかその前に夢と現実の区別くらいできるようになってほしい。幼児が怪獣の夢見て泣いているのと同じである。
ところが女房は難産で死亡してしまう。後戻りできなくなったアナキンは開き直ってダースベイダーとなってどんどん戦争の深みにはまっていくのであった。
とまあ、喧嘩は強いが頭は弱い悲しい青年の寓話なのである。
見た人全てがつまんなかった、というので全く期待せずに行ったがなかなか面白かった。ただ期待するとつまらないかもしれない。
だいたいなんで戦争しているのかもわからないし、どっちにどういう大義名分があるのかもわからない。だけど良いもんと悪もんは一見しただけですぐわかる。この単純さこそがこのシリーズの人気の秘訣だと思う。アナキンの馬鹿さと強さがまさにこのシリーズの象徴であった。

NO.5「第三回 映画鑑賞会」 2005−7−12
去る10日の日曜日に久しぶりの映画鑑賞会を行った。今回の演目はスピルバーグの「宇宙戦争」だ。私はこの映画の存在を知ったときに絶対見ようと思った。
「宇宙戦争」。素晴らしいタイトルだ。B級の王道を行くような、何の工夫も知性も感じられない所が素晴らしい。私は映画に限らずB級モノが大好きなのでこのタイトルにはピンときてしまった。
B級の定義は みうらじゅんと重複してしまうが「本人はいたって大真面目なのに作品はちゃちで間抜け」というものだ。賢い奴がB級を装うのは外道である。B級を意識したB級はC級D級である。
今回大切な事は、世界一有名な監督で全ての作品がヒット作であるあのスピルバーグが「宇宙戦争」などという映画を創ってしまったこと。この間抜けさに限る。原題は「War Of The World」なので直訳するなら「世界の大戦争」か。いずれにしてもどうかしてるとしか思えないタイトルだ。最高である。
スピルバーグ氏はヒューマニズムとは対極に位置する人で、人間の醜さや残酷さ、愚かさを生々しく描く事のできないファンタジー系の監督である。「カラーパープル」「シンドラーのリスト」「プライベート ライアン」生ぬるい、生ぬるい。
この緩さは宇宙人に対しても貫かれる。「未知との遭遇」「E.T.」宇宙人がかわいいお友達だとさ。馬鹿言っちゃいけない。宇宙人は侵略者である。幼少の頃からウルトラマンの洗礼を受けてきた現在の日本の30代、40代前半にとっては宇宙人は恐ろしい敵なのである。もし私の家にE.T.が迷い込んできたら私は断固として闘うだろう。
ところが今回は何を思ったかスピルバーグが宇宙人を侵略者として描いているという。そこがうれしかった。ウルトラマン的世界観にやっと世界の巨匠が歩み寄ってきたのか・・・しかし冷酷無比な宇宙人ではないだろう、どこかに間抜けな味を残しているに違いない、この予感は的中してしまうのだった。
参加者 私、親方ヨッシー、課長P,シンちゃん、マック、マーリコ、ママの七人だ。
日曜昼の海老名のトーホーは大変混んでいて四人しか入れなかった。なので仕方なく四人で見たのだ。座席は一番前の右端という最悪の場所であった。
侵略宇宙人はとてつもなく強い。世界16カ国を一瞬にして壊滅させてしてしまう。完璧に強い。バルタン星人よりゼットンよりガッツ星人より強い。主人公のトム クルーズは逃げるだけで精一杯。敵が余りに強すぎる時、主人公がどうやってそれを退治するのかが見物だが結末は突如としてやってくる。宇宙人は地球を侵略したが、地球の気候風土、微生物に体が合わずに自滅してジ エンド。なんだそりゃ???
大体こんなに知性の発達した宇宙人ならそのくらい調査してから来るだろう。
このアガサ クリスティーばりのどんでん返しに椅子からずっこけた私であった。ハッキリ言って失敗作です。迫力だけに1800円。二度と見たくない。


NO.4「第四回 バーベキュー大会」 2005−6−22
年に一回程度でバーベキューをやってる。場所は我が家の庭である。ここなら集まりやすいしトイレもあるという事で好評なのである。
私は主催者として食品、備品の買出しをしなくてはならない。だから参加人数、その顔ぶれを正確に把握しておかなくてはならない。なので「行けたら行く」というあいまいな返事は不参加とみなして一切受け付けない。
会費をなるべく安く抑えるには無駄な買い物をしない事だ。無駄な買い物は食えるものを棄てるという事にもつながり、二重に愚かな行いだと信じる。だから参加不参加の返事は責任を持ってもらいたいのだ。
今のところ皆さんきちんと返事どうりに来ていただいている。うちのお客様はなんと律儀な方々だろう。しかし集まり方は年々遅くなる。10時の集合時間にきちんといらしたのは三人だけであった。第一回の時などほとんど総ての人が10時に見えたのに四回目にもなるとまず時間を守ろうとしない。まあ時間を守らなくても誰も困らないし、どこかへ移動するわけでもないから仕方ない。
参加者 課長P、ツネさん、マック、マーリコとそのママ、親方ヨッシーとその息子、ミナ、     シンちゃん、R2P2、エビアン、マコピー、ナカイ、加藤市
さすがに昼間の酒は効く。素面の人が見ればどうしてそんな事が面白いのか?って事がとっても楽しく思えたり、野外という事で焦げた肉さえ美味しく感じたりする。陽がさしたり陰ったり、風が吹いたりやんだり。鳥のさえずり、そしてはためく洗濯物。人の数以上のコップの数。
バーべキューの醍醐味を堪能しながら締めくくりの焼そばを食べていると雨がパラリパラリときて終わりになったのである。皆さん慣れてきたのか回を重ねるごとに泥酔度が増していく。意味不明の言動を繰り返していた人が数人いたのだった。
当分バーベキューはやりたくないほど呑んだのでした。

NO.3 「第五回 登山会」 2005−4−22
去る17日の日曜、今期初の登山会を催した。昨年から始めた登山会だが冬の間は何かと危険も多いので半年ばかり中断していた。
登山といっても丹沢あたりの標高1000メートルくらいの山で、ハイキングのようなものだ。参加者ほとんどが素人と言う事を考えて、今のところ敢えて難易度の低い山を選んでいる。
五回目の今回は山北の大野山を選んだ。雑誌に紹介されていた写真を見ると山頂からは富士山、丹沢湖、相模湾が見渡せる。さらに山頂には牧場があって牛乳も飲めるらしい。ただ気にかかる事が一つ。山頂まで車でいけるらしいのだ。つまりそれは初めから最後までアスファルト道路か、山道であったとしても轍の刻まれた道、ということになる。俗世間との隔絶がやはり自然の、登山の魅力だからそれを考えると行く気が萎えてくる。しかし良い代案もなく、不安の中、大野山に向った。
7時集合の予定を8時に繰り下げたのはどうせ車で登れる山だから、という期待感の薄れでもある。
参加者 私、マコピー、マーリコ、マック、課長、シンちゃん、親方とその息子とその友人
道に迷い、渋滞にはまりながら登山口に着いたのは11時前。そこから65分で山頂らしいがその場合だいたい50分程度で登れる。
恒例の記念写真を撮って出発。アスファルトの舗装道路を歩いていく。鶯や小鳥のさえずりが聞こえ山桜が風に花を散らす。「ああ、山に来たなぁ」しかし足元はアスファルト。このまま山頂まで行ったら、ただの散歩じゃん、みたいな不安がよぎる。しかし数分歩くと藪の中に登山道の標識。車道と登山道は区別されていたのだ。ホッとする。
山の中に入って今来たアスファルトの道を見下ろすと、まるでそこが冥界の入口のように悠然たる雰囲気に包まれていた。私はこの境目の瞬間がなんとも言えず好きだ。
山によって登山口は色々あるだろうがこのように突然山道に入るのも珍しくはないのだろう。
やはり50分程度で山頂に着いた。再び舗装道路となり車が何台か見え牛小屋がある。標高が800メートルくらいなので空気の美味しさは感じない。景観も素晴らしいのだが近くに車があることが気持ちをしらけさせる。そしていよいよ楽しみの牛乳。牛乳売りの姿が見える。その隣には沼津ナンバーの軽トラック。のぞくとメイトーと書かれた瓶詰めの牛乳。まさか・・・と思いつつ130円を出す。
「これ、ここの牛のもの?」なんて、薄々気付いていたけど聞いた。
「いえ、ここの牛はまだ子供で乳は出ないんですよ」
「なんだと、それじゃ八百長じゃねえか、まぎらわしいんだよ、子牛でもいいから今から絞ってきやがれ」とは言わず
「いやあ、美味しいですね、おかわり」なんて大人の対応をしてしまったのだった。
頂上で二時間程度ゆっくりした後、下山。帰りの東名が事故渋滞で登山よりよっぽど疲れたのであった。

NO.2 「第二回 映画鑑賞会」 2005−2−1
早くも第二回。今回の課題は「エイリアンVSプレデター」だ。なんと男の子心をくすぐるタイトルではないか。一昨年の「ジェイソンVSフレディ」もワクワクしたが、今回はスケールの上で遥かにそれを凌ぐ。
男の子は無意味でゴージャスな組み合わせに心を躍らせるものだ。幼少の頃「マジンガーZ対デビルマン」や「ルパン対ホームズ」なんて観るのがもったいないくらいに興奮したし、ドラえもんにバケルくんが出てきたりするとうれしくてページが進まなかったりした。だから一昨年の「曙対ボブ サップ」などという現在最高の怪獣対決も勿論チェックした。格闘技としてみたら三流なのかもしれないが、男の子視線に立てば立派な対決なのだ。
だからエイリアンとプレデターがタイトルに乗っかっていれば内容など関係ない。実際内容の無い映画であったが。
今回は作品が作品だけに参加者は少なかった。
1−17 海老名ワーナー 最終回 1200円
参加者 私、マコピー、シン、ピーの四人。
プレデターは狩好きな宇宙人。エイリアンはここでは「宇宙トカゲ」と呼ばれ、最高にスリリングなファイトをする宇宙生物。プレデターはエイリアンが狩りたくて仕方ない。しかし強暴だから自分の星には連れてきたくない。そこでプレデターは地球に目をつけエイリアンを地球に放流する。エイリアンの餌は地球人である。
と、まあ、こんなストーリーなのだがこれは非常に現実的な物語である。私はすぐに芦ノ湖を思い出した。芦ノ湖は元々、マスなど在来種の棲む湖であった。心無い釣り人がブラックバスを興味本位で放流した所、瞬時に繁殖して生態系を荒らし大問題になっている。
だからこの映画は環境問題として観なくてはならないのだ。主人公の女性は地球人としてプレデターに厳重に抗議をしエイリアンを残らず持ち帰ることを訴えなくてはならないが、彼女はやはり命が惜しくプレデター側にたってエイリアンの駆逐に精を出す。判らないでもない。芦ノ湖でバスで生計を立てている人たちには生態系の問題より今の生活だろう。
間違っていても上司の命令に従わなくてはならなかったり、生活の為にうしろめたい事をせざるをえない。正義という言葉が軽々しく聞こえる経験は誰にでもあることだ。もう、そうなれば開き直りしかない。主人公の女性はよく戦ったとしてプレデターの親分からご褒美を貰ったりしてたが、本心はそいつらもエイリアンともども、やっつけたかった事だろう。実にヒューマンな映画であった。
今年は「清原対ボブサップ」を期待しつつ家路についた。

NO.1 「第一回 映画鑑賞会」 2004−12−23
ウチのお店は映画好きが多い。私も映画が好きなので映画話で盛り上がる事が頻繁にある。あれは夏頃だったか、「世界の中心で愛を叫ぶ」という映画がヒットしていた。当然我が店でも話題になった。観にいったお客様いわく「泣けた。あれは泣くよ」
私はその手のお涙頂戴映画が嫌いなのでその話題を流して聞いていた。
二匹目のドジョウを狙うのは古今東西同じ事。案の定、亜流の映画が沢山できて最近「いま、あいにいきます」という、タイトルだけでも寒気のしそうな映画がはやり始めた。当然、私は無視。だが店では話題になる。何の話題でも人を傷つけるものでないならかまわない。私は例によって流していた。すると聞き捨てなら無い一言。
「あの映画観たらマスターも絶対泣くよ」
私は映画でよく泣く方だ。寅さんでも泣けるしロッキーなんて20回くらい観ているけど同じ所で同じように泣ける。10年位前池袋で「ジャック サマースビー」という映画を観て館内の照明がついても涙が止まらず、帰りの山手線の中でも思い出し泣きしたくらいの泣き虫である。
しかしそんな私でも節操はある。安直な低俗作品に費やす水分などこの体のどこにも無いのだ。
「マスターも泣くよ」は「お前なんて3ラウンドまでにKOしてやるよ」に聞こえたのだ。だから有志を募って海老名まで件の映画に挑戦しにいったのだ。
「いま、あいにいってやるぜ」
12−13 ワーナー 9時50分最終回 1200円
参加人 私、ヨッシー、シン、マコピー、マーリコの五人
冒頭からイライラするシーンの連続。妄想と奇麗事だけで話がどんどん進んでいく。映像が美しくロケ地も素晴らしい事が一層内容の陳腐さを引き立てている。始めの90分が苦痛でこれ以上我慢するとスクリーンを破きたくなりそうなので帰ろうかと思ったところに竹内結子のベッドシーン登場。ここで初めて私の心が揺れる。結子のおヌード頂戴か?しかし期待虚しくそれはイメージシーンだけで終わる。ガーン。そして強引にまとめてラストへ流れ込んだ。
要するにただ純粋に人を愛すだけの映画なんだけどこれだけ恥ずかしげもなく堂々とやられると心地よい物だ。永遠の別れの時が迫っている二人が熱く抱擁しあうシーンは使い古されているがゆえに感動を呼び起こす。
結果、泣きはしなかったものの感動はした。良い気分にもなれた。1200円の価値はあったと思う。監督の技量のたまものかもしれない。だが二度観たいとは思わない。
一方、永遠の別れでしか感動させられないというのは原作者は作家として力量不足だと思う。その点、ロッキーは傑作だ。誰も死なないしヒロインはブスじゃないか。それがこの映画を観た感想である。





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