<TWINSの妊娠と出産>
不 妊 治 療
<世間の心無い言葉> <子供のいない人生も>
最初の妊娠は、結婚1年後でしたが、残念ながらお腹の中で胎児が育たなかったようで、4ヶ月に入ったところで流産してしまいました。その時の主治医は、「妊娠できる身体ということがわかったんだから、大丈夫」と励まして下さいました。
私自身も、30歳前に1人産めばいいかな?なんてのんびり構えていたのですが、待てど暮らせど妊娠する兆候は現れない・・・でも、そのうちできるさ!と楽天的に過ごしていたのですが、実家の母がどうしても一度「不妊外来」で検査するようにとうるさいので、じゃあ、取りあえず行ってみよう、と軽い気持で受診しました。
今まで、月経異常とは無縁だった私は、どこにも問題がないと思い込んでいました。しかし、検査の結果は、「高プロラクチン血症」ということで、排卵がうまく行われないため、なかなか妊娠できないということがわかりました。
まずは、プロラクチンの値を下げるために「パーロデル」というホルモン剤を服用しました。この薬は副作用として「吐き気」があるので、この吐き気を防止するためにいっしょに「吐き気止め」も服用していました。副作用の吐き気は身体が薬に慣れるにつれ、感じなくなるので3ヶ月後ぐらいからパーロデルのみの服用となりました。
プロラクチンの値が良くなってきた頃、今度は「クロミッド」という軽い排卵誘発剤を服用することになりました。これは、生理の5日目から5日間、毎朝1錠ずつ飲みます。クロミッドは排卵誘発剤でも「軽い」方なので、服用に際しては医師から「多胎妊娠する可能性があるけど、そんなには多くない」と説明されました。
基礎体温が高温期に入ったら「黄体ホルモン」の注射を1日おきに3回打ちます。これは、受精した黄体ホルモンの状態を保つために、打つのです。この注射、筋肉注射で肩かお尻に打つのですが、とにかく「痛い!」上手な人が打つと痛みはほんの一瞬なのですが、そうではない人だと注射液が入った瞬間から打ち終わるまでず〜っと痛い・・・とにかく痛い。
治療の中で、これが一番嫌いでした。
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結婚して何年も子供ができない夫婦は、ホント嫌になるくらい回りからの「心無い言葉」に傷つけられることが多いです。まだまだ「そのうちできるだろう」と呑気に構えていた20代半ばの頃は、「何言ってんだ」ってな感じで、大して気にも留めなかったのですが、やはり不妊治療を始めてからはとにかく、他人の一言一言に傷ついていました。
「いえ、まだ」
「作らないの?」
「別にそういうわけでは・・・」(余計なお世話!)
「子供はいいよぉ、早く作った方がいいよ」
「ははは、そうですね」(うるさーい、あんたには関係ないでしょ!)
こんなやりとりが何回あったことやら・・・その上、年配の男性には「作り方わからないの?」なんてセクハラ発言も飛び出すし・・・もう、他人の家族構成までに口を出すなんて、プライバシーの侵害以外の何者でもないわっ!と怒り狂っていました。
20代後半で「妊娠」という言葉にピリピリしていた頃、同じ職場で「結婚」という言葉にピリピリしている人がいました。女性が会社で仕事していて、ある年齢になると回りから「結婚は?」とか「子作りは?」などと、うるさくなります。全ての女性が結婚して、出産しなくちゃいけない・・・ってことはないでしょう。結婚しない人生もあれば、出産しない人生もあります。とにかく、人のプライバシーには軽々しく口を挟まないで欲しい、ということです。
不妊治療中に一番傷ついた言葉です。
その頃の私は、30になったばかりでした。職場の飲み会の後、同じ課の同年代の男性から上記のことを聞かれました。彼は、私にはすでに子供がいると思い込んでいたらしく、「え?まだいないけど」と答えると「え〜?なんでぇ?だって、うちの兄貴は27の時に一人目が産まれたよ」と。
じゃあ、何かい?30過ぎた女は、3歳過ぎの子供がいなくちゃおかしいというわけ?という言葉を飲み込み、顔面を思いきり殴りたい!という感情も押しつぶし、「じゃあ、私はこれで帰ります」とそそくさと帰ってきました。帰りの電車の中では、悲しくて、悲しくて、涙があふれそうになったことを今でも忘れません。
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- 資格を取って、いづれは教室を開くのもいいかも
- 海外旅行って楽しいよね、どんどん行きたい
などと、子供がいなければいないで、人生を楽しもうじゃない!
勉強のスケジュールを組み、海外旅行の予定も組んでいた矢先、妊娠が判明!
もう、不妊治療なんてどうでもいいや・・・とストレスから開放されたのが良かったのか、呆気なく妊娠しました。
やはり、女の身体はストレスに弱いので、「不妊治療」がストレスの要因となっていて、身体的には問題がないはずなのになかなか妊娠ができなかったようでした。
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