エッセイ 「親父は泣かない…???。」
 大学時代から、アーチェリーをとおしての友人であった男と娘が結婚することになった。 今までの成り行きからいずれこのように成るとは想像していたし、成人した一人前の娘がいつまでも家にいられてはかなわないので、早く嫁にいってくれれば、と思っていた。

 そんな訳で、結婚の許しを得るために“マメ”(娘の相手のことであるが、デートの送り迎えなど、とに角“まめ”なので、私が内緒で愛称をつけたが、娘がこのことを話したらしく、最近では自分でもそう呼んでいるらしい)が、我が家を訪れたときでも、「娘を幸せにしてやって欲しい」と、二つ返事で了解し、その後も新居を見つけることを手伝ったり、 新居の部屋の寸法を測りについていったりと、私の気持ちは、晴れ晴れとした気分であった。

 ところが、娘の部屋に家財道具やらが山積みになるにつれ、娘は明るく成ってゆくが、私の気持ちの中で、モヤモヤとした、言いようのない空しさのようなものが、生まれているのに気が付いた。これはなんなんだろうか?、世間でよく言う娘を嫁がせる“親父の気持ち”と言うものだろうか?。単純にいえば、誰もいない場所で大声を出して見たくなるような気分なのであるが、本当はもっと複雑な気持ちであるようで、自分ではよく分からない。とに角今までに経験したことのない、言い難い気分なのである。

 一方、家内の方は、当初相手のことを何だかだと言ってたくせに、結婚話がまとまると、まるで自分が嫁ぐのではないかと思うほど、せっせと式の着物を誂えたり、娘の身の回りのものを揃えてやったりと、楽しそうにみえる。

 やはり女は強いと言うのは、本当のことのようだ。こうした“ずぶとさ”が無いと子供は生めないと口癖のように言っていたが、まさにそれを実感している。  あと数ヶ月すると結婚式を迎えるが、家内や娘には「式では俺は絶対涙なんか見せない」と言い切っていたが、本当にそうすることができるだろうか?。心配な今日このごろである。
1997年「三友新聞」投稿記事より

エッセイ 「親父は泣かない?」後日談
娘が結婚するに当たっての、父親の心情について過日、本紙面にて紹介させていただいたきましたが、日頃テレビドラマや映画を見ていてもティッシュが離せない私にとって、きっと涙の結婚式になってしまうだろうと思いつつ、あっという間にその日が近づいてしまった。

よくドラマなどでは、娘が父母の前で挨拶するシーンを見かけるが、娘の気持ちは十分に分かっているので、このシーンはできれば避けたいと思っていた。しかし家内が風呂に入っているのを、見計らったように私の所にきて、「長い間お世話になりました……」と言われた時には、早くも涙を流す羽目になって、パソコンのモニター画面にぼんやり写る顔を見ただけで、娘を直視することができなかった。そのあとも何と言葉を返したかも良く憶えていないが、兎に角、涙の父親の始まりであった。

結婚式は、質素にしたいとの若い二人の希望で、身内だけのものにしたが、花嫁姿だけは見たいとの、私ども希望をかなえてくれたのだが、当日に支度の終えた“白無垢に綿帽子”の娘の姿を見た瞬間、目頭が熱くなり思わず上を向いてしまい、「とてもきれいだよ」と言おうと思ってた言葉すらだせなかった。 結婚に当たっては、月並みなことしかしてあげられなかったので、何か記念になることをしてあげたいと思い、披露宴で娘に三つのものを渡すことにした。

ひとつは、娘が結婚するときに必ず渡そうと思って、大事にとっておいた“生まれた日の朝・夕刊“であり、も一つは、娘が小学校一年生のときに、私の誕生日を祝って習いたての毛筆で書いてくれた”お祝いの手紙“で、この時の優しさをいつまでも持ちつづけて欲しいという願いで選んだ。

三つ目は、やっとお座りが出来たころ私が写した“私のお気に入りの娘の写真”で、これをデジタル処理したものを、フロッピーに入れた。これは、幸せがいつまでも色あせないで欲しいとの、願いを込めたものである。
このことを文章にして、司会者の方に読んでいただいたのだが、娘の涙顔を見たとたんに家内ともども泣いてしまった。

こうして私どもの一大イベントは、無事?に終わったわけですが、以前「泣かせる娘、素直に泣いてしまう親父、それで良いと思いますよ」とのK.Kさんの投稿文にもあったように“本当に素直に泣けてしまった”、まさに記念すべき素晴らしい結婚式でありました。
1998年「三友新聞」投稿記事より

エッセイ 「ホームページ開設に当たって」
 私がコンピューターに興味を覚えたのは、結婚してすぐのことでしたから、今から およそ25年も前になりますが、その当時はこれ程までになるとは思ってもみません でした。

 そもそも私とコンピューターのつき合いは、プログラムが組めるポッケトコンピュー ターの購入が始まりでした(15年くらい前10万円で購入)。

以来PC-8801MARK2(8ビットマシン)からPC-9801VX21(16ビットマシン)と乗り 継ぎ現在のPC-9821AP2(32ビットマシン)に至るまで、よくも飽きもしないで揃え た物だと感心したり、呆れたりしています。

 当初は仕事柄、化工計算のプログラムを組んだり、データベースを作ったりともっ ぱら仕事に使うことが多かったのに比べ、8ビットマシンは、息子や娘がゲームに使 うために占領されることが多くなり、これでは宝(?)の持ち腐れになると、始めた のが『パソコン通信』でした。今からおよそ10年も前になりましょうか。

 当時は、通信用モデムは1200bpsが一般的で、高価な買い物でしたが何とか ローンで手に入れ、PC-VANとNiftyつづいてアスキーに加入しましたが、当初はもっぱ らROM(読むだけのことをパソ通ではこのように言う)人間でした。

 通信を始めようとすると、今のように通信ソフトや通信環境が整っていませんでし たから、判らないことだらけで、何回も挫折しそうになりましたが、書籍を買いあさっ て読んだりして、なんとか曲がりなりに使いこなせるようになりましたが、電話代金と 通信代金が気になり、通信速度の遅さを恨んだものでした。

 以来モデムも2400bps、14400bpsと買い換えたころには、受け身の ROMだけではつまらなくなり、双方向で通信できる環境を求めるようになっていま した。

 私のもう二つの趣味(一番目はパソコン)である登山やハイキング(二番目の趣味) で写した写真(三番目の趣味)を、通信でアップロードして、皆さんに見てもらって 意見交換することができたら、もっと楽しくなるのではないかと思うようになったのも この頃でした。

 写真画像は大きなファイルとなるために、モデムも28800bpsに買い換え、 画像もモニターで鮮明に映し出せるように、グラフィックボードも装備したり、ハード ディスクを大容量にしたりと、またまた出費がかさみましたが、始めてからはパソコン 通信の醍醐味が倍加したように思えます。

 それでも飽きたらず最近は、世の中を賑わしている『インターネット』で、自分の 写真を『ホームページ』に展示しようと、またまた飽くなき挑戦が始まっています。  この投稿がみなさまのお目に止まる頃には私のホームページ『Nature Photo Gallery』 が、ささやかにオープンしていると思いますので、文末にあるURLに是非アクセス してみて下さいませんか。

 最後に、パソコンに興味をお持ちの本紙をご覧の皆さん、是非パソコン通信に挑戦 なさってみませんか、50歳をすぎた私にも出来ることですから。きっと世の中が広 がることと思います。
インターネットURL:http://www.yk.rim.or.jp/~tabata/
1996/02/22付け 三友新聞(三井グループの新聞)への投稿記事より

エッセイ 「1年を顧みて(さてこれからは...。)」
 本紙面をおかりしてホームページ「Nature Photo Gallery」を紹介させていただいてから早くも1年が経ちます。

 よちよち歩きの状態で始めたインターネットウェブですが、この間10,000を越えるアクセスをいただき、今更ながら昨今の情報通信の普及に驚いています。

 この間当社にも社内LANが導入され、それこそ老若男女を問わず、パソコンに取り組む毎日が続いております。良かれ悪しかれこれからは、ますますネットワーク通信が切っても切り離せないものになるでしょうが、インターネットウェブを通じての私の経験談を御紹介させていただきます。

 まず心配していたネット上での悪質ないたずらや、中傷めいたことが皆無であったことです。むしろホームページ作成上のアドバイスなど、親切にして下さる方が多いのに驚いたくらいです。

 中でも嬉しかったことは、ネット上での友人が増え、個人的にリンクいただいた方が北海道から台湾まで100人を越え、このうちの何人かの方たちとは実際にお会いして、楽しい語らいが出来たことです。北海道の富良野にお住まいの方などは、お逢いした後で、季節のラベンダーをお送りいただき感激したものです。

 また、仕事では全く縁のない模型飛行機の商売をされている台湾の方が来日され、ホテルで夕食を伴にした時なども、昔からの友達みたいに話がはずんだこともネットメールの効用なのでしょう。

 たとえお逢いできなくても、桜の開花状況や紅葉情報など、ネットメールを通じてお話ししていると、何か友達になった気がしてくるのは私だけではないと思いますが、元来ひっこみ思案の私がこんな風に全く別の世界の友人を増やすことが出来るなんて、思いもかけなかったことです。

 特に、50歳以上の方をネット上で探している私にとっては、同年代あるいは先輩諸氏の生き方に感動や共感を覚えます。

 そんな訳で長続きできるか心配だったインターネットウェブですが、当分の間続けてみようかと思っている昨今です。

 さてこれからは・・・・・勿論ホームページのメンテナンスのためも含めて趣味の登山や写真撮影にも出かけるつもりですが、せっかくのインターネットウェブですので、ホームページもバイリンガルにして世界に発信しようかなとも思っております。 そしてインターナショナルな友人が出来ればと期待しています。
 ホームページご覧の皆様、よろしかったらメールをいただけませんか。
1997年3月6日「三友新聞」投稿記事より


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