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明治39年門柱に「観覧御随意」(もちろん24時間OK)の看板を掲げて渓園を一般に公開し、ハスが咲くこの時期になると親しい人々を招いて「蓮見の茶会」を催していたそうです。 昭和14年8月16日70年の生涯を閉じましたが、葬祭にあたっては一切の供物・供花が堅く辞退され、臨終の床を飾ったのは園内の池から切り取られた蓮の花一輪だけでした。
かつて横浜市郊外のあちこちで見られた蓮田もすっかり姿を消し、現在市内で蓮の花が観賞できるのは、三渓園だけになってしまいました。三渓園では昭和50年から暑さのピークを迎えるこの時期に「観蓮会」を開催し皆様にお楽しみいただいています。
どんなハスがあるの?
三渓園の開園当初は、三渓蓮と呼ばれる雑種の蓮が夏場の大地を埋め尽くすように咲いていました。
現在は場所を蓮池に移し、原始ハスや藤壷蓮、金輪蓮(こんりんれん)など数種類が植えられていますが、ここ数年開花の状況が思わしくなく頭を痛めております。園ではハスの専門家である千葉県佐原市の水生植物園よりアドバイスをいただき土壌改良や肥料の調整、ザリガニの捕獲なと開花促進のための様々な取り組みをしております。昔のようにたくさんの花が咲くようがんばっています。
蓮の歴史を教えてください!
蓮の起源は古く白亜紀(1億4000万年前から6500万年前)の地層から化石となって発見されて、
います。日本でも東京大学の大賀一郎博士が千葉県検見川の泥炭層から採取した2000年前の蓮の実から開花に成功していることから、かなり古い時代に大陸から渡来していたことがわかります。
中国においては唐の初め頃より「観蓮節」が行われるようになりました。詩人白楽天は「長恨歌」の中で楊貴妃の美しさをハスの花に喩え、李白は「採蓮曲」で求愛の心情を詠んでいます。
「若耶渓(じゃくやけい)の傍採蓮の女
笑って荷花(かか)を隔てて人とともに語る
日は新粧(しんしょう)を照らして水底に明らかに
風は香挟(こうへい)を瓢(ひるがえ)して空中に挙がる」
日本における蓮は多くは仏教との関わりの中で登場してきました。
「妙法蓮華のたとひにも、花は仏にたてまつり、実は数珠につらぬき、
念仏して往生極楽の縁とすればよ。」(枕草子)
観賞の対象としても歴史は古く「万葉集」にも次のような歌が詠まれています。
「ひさかたの雨も降らぬか蓮葉(はちすば)に溜まれる水の玉に似たる見む」
泥の中から思いもかけぬ程清廉な花が咲く様子は洋の東西を問わず人の心を打つようです。
江戸時代の頃からは品種の改良も進み広く観賞用蓮の種類も増えました。上野不忍池で観蓮会が始まったのもこの頃です。明治時代になると蓮への関心はしばらく下火になりますが、アメリカ産種の導入や大賀博士による古蓮の研究などが進み、再び注目を集めるようになりました。現在では、蓮の繊維を使った織物や種や花托を利用した工芸品なども作られ人気を集めています。
三渓園早朝観蓮会パンフレットより