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(c)Mitsuo Tabata,1996 All Right Reserved
高遠城址公園
武田信玄の五男仁科五郎盛信が織田信忠と戦い、壮絶な死を遂げた高遠城。廃藩置県で城を撤去、昭和48年に国の史跡の指定を受け、現在は「天下第一の桜」が咲き誇る美しい公園となっています。
高遠コヒガンザクラ
かつて馬の姿が桜の花に埋もれて隠れたという高遠藩の桜の馬場。明治8年、荒れたままになっていた高遠城址を何とかしようと、旧藩士達が馬場の桜を城址に移植したのが公園の桜の始まりです。
毎年、高遠城址公園には1500本以上もの可憐なコヒガンザクラが咲き誇ります。高遠のコヒガンザクラは県の天然記念物。見頃は4月中旬、城址公園がピンクに染まる花のシーズンには40万人以上の観光客が訪れます。
絵島囲み屋敷
大奥女中、絵島は、家継の母月光院に仕え、大奥と絡んだ幕府の勢力争いにまきこまれ、高遠に流されました。この事件のきっかけとなった歌舞伎役者生島新五郎は三宅島に遠流。処罰は1500人にも及びました。
絵島が高遠で流刑生活を送った屋敷を当時の見取り図をもとに復元したのが絵島囲み屋敷です。格子や矢来で厳重に囲まれた質素な屋敷で、絵島は昼夜十人近くの武士・足軽に見張られていました。高遠町歴史博物館でご覧いただけます。
絵島の墓
大奥の権力争いもからみ、芝居見物のとがで高遠に遠流となった絵島は、囲み屋敷で61年の生涯を閉じました。幽閉生活28年。遺言によって、日蓮宗蓮華寺に葬られ、その墓は本堂裏にひっそりと建っています。
蓮華寺
延文5年、長遠寺として創立。その後度々移築され、慶安年間に現在地に移りました。後水尾天皇勅筆、土御門天皇御末広、尾形光琳、狩野洞春の画など数々の寺宝が宝物館に陳列されています。また本堂裏には絵島の墓があります。
説明文引用:高遠町ホームページ