
| 2007年 9月15日 |
大動脈解離発症 | 午前4時、突然の胸と背中の激痛で目覚める。その後腹部がかき回されるように痛み吐くも好転せず。呼吸するたびの未曾有の激痛に異常事態を感じ、自ら119番通報。救急車の中で、受け入れ先が見つからず30分余り苦悶するも、最後は声もでなくなる。同乗した長男もかなり驚いたことだろう。やっとのことで、SA病院に搬入、当直だった、 心臓血管外科部長が「大動脈解離」と判断。緊急治療に入る。 |
| 9月17日 | 集中治療室 | スタンフォードB型解離にため、手術はせずに徹底した血圧管理と絶対安静で集中治療室で過ごす。 たびたび遠のく意識の先に、先に逝ったしいちゃんがいる。ここから先は死の世界と感じながら、 掌をこすられる感覚で目を開ける・・。そこに息子たちが手を握り「大丈夫だからね!」 と言葉をかける姿を目にする。後日談で、この時息子たちは医師から「解離が進んでしまっていて、 腎臓が巻き込まれ、下肢にも動脈瘤があり、腸管からの出血もあり、万一の場合を覚悟してください」と 言われていたそう。とにかく手はグローブ、顔面はKOされたボクサーのように瞼が塞がるほどほど腫れていたのを憶えている。幻覚もたびたび見る、ベッドが急に動き出したり、天井に真っ赤な蜘蛛が何千匹と動き回ったり・・・。 |
| 9月22日 | 一般病棟 | 一般病棟へ移った。腫れも引き、導尿管もやっとはずされ何とかトイレまでは歩いて良い事になった。食事は重湯からはじまり3分粥5分粥へと変わっていく。午前8時、12時、6時に食事・・・・、まずい!生と死を考える会の人たちがお見舞いにきてくれた。 |
| 9月30日 | 一般病棟 | 食事も普通食に変わり、歩行リハビリも始まり退院に向けて歩くが、階段を1階上っただけで、右足がしびれ痛くて動けなくなってしまう。どうやら、右足に出来てしまった、動脈瘤のせいで血流が妨げられてしまうようだ。寝ていても腰が痛くなる。 |
| 10月3日 | 退院予定 | 数度の造影剤を入れたCTスキャンの結果、7日が退院日と決まる。でも入院費用が払えない・・・・。次男に連絡して用立ててもらう。なんと情けないない親父だろう・・・。涙がこぼれる。 |
| 10月7日 | 退院 | やっと退院だ。長男に着替えを持ってきてもらい午後彼の運転する車で退院。家に戻る前に、しいちゃんのお墓に立ち寄る。なんと駐車場からお墓まで歩けない。。目の前にお墓が在るのに頑として足が動かない。やむなく長男に花と線香を渡し墓を掃除してきてもらう。その間、途中の芝生で休んでいたが、あまりの情けなさに涙が溢れてとまらない。 |
| 10月15日 | 初検診 | 退院後、初めての検診。造影剤CTの結果、足の動脈瘤は大きさは変わらないが、中の血流がやや細くなってるとのこと。血流をよくする薬を追加。足の痺れがとれなかったり、むくみがでてきたら6時間以内に処置しないと大変なことになるのですぐ救急車で来るようにといわれる。午後は、病院で開かれた主治医の「大動脈解離とは?」の講演会を聴く。心不全につぐ死亡率の高い見つけにくい病気らしい。その後、近くにある社保庁に行き、来年から支給開始となる年金いついて聞いてくる。基本は65歳からの満額支給なのだが、仕事も出来ない現状では60歳からの一部支給、または一括分割支給が得かなど具体的に質問する。身体障害者3級以上に認定されれば、60歳からでも満額支給されるらしいが、これは内科的なものなので難しそうとのこと。76歳を境に、それ以上生きるとすれば通常通りの一部支給が生涯的には得になり、76歳未満で死んでしまうとすると、一括分割支給のほうが、得になるとのこと。じっくり考えねば・・・。最終的には人工血管にしないと、足の痛みはとれないらしい。ただ、現在は大元の大動脈解離が完治したわけではないので、もう少し後のほうが安全とのこと。 |
| 10月19日 | 三鷹へ行く | 退院後、初の遠出。しいちゃんの実家と国分寺の友人宅へお見舞いのお礼返しに行く。三鷹では、祖母と二人で、思わず泣いてしまう。でも内緒でそっと大金のお見舞いをもらう。本当に助かる。検診も1回行くと2万円くらいかかるから、これからが大変・・・・。 |
| 10月22日 | 次男誕生日 | 来月早々結婚する次男の誕生日。何もしてあげられないので、身に着けていたOMEGAの腕時計を送る。形見分けじゃないよ。痛みは退院以来、腰の痛みから始まり、お腹、胸、背筋・・・と体中にでる、しかも夕方から夜がひどい。食欲もあまりなく、朝はパン半分とヨーグルトだけ。昼、夕食もいつもの半分くらいの量しか食べられない。塩分6mg以下というが、電卓片手に計算するのもかったるいし、手っ取り早く塩分控えめで、量を半分にすれば多分いけるのでは・・・という安直な考え。 |
| 10月24日 | 朝から痛みもなく久しぶりに楽な一日・・・と思ってたら、夕方から背筋の左上部がかなり痛い。風呂は入って、長男にヴァンテリンを塗ってもらう。これが意外に効いて楽になる。内臓からの痛みではなく、外科的なものならいくらでも我慢できる、直る希望があるんだから・・・。 | |
| 10月25日 | 遠出 | CDが壊れてしまい、保土ヶ谷区のサービスセンターまで持っていく。巨大ビルで、駐車場で迷ったり、ビルの中を機械もって上下したりで、かなり疲れる。朝からずっと右の胃、左の胸が交互に痛む。結構キツイなぁ。明日は三鷹の義姉と築地の義妹がボランティアで?家の掃除に来てくれる。ありがたいこってす。 |
| 10月26日 | 掃除 | 三人でいろんな話をしながら、掃除も手伝う。結構動いたのに、腰にも胸にも腹にもほとんど痛みがない。こんなこと退院以来初めて。痛みから解放されるということが、こんなにも楽なものか改めて実感した。ワンコの散歩もしびれや痛みはあるものの、往復途中で休みをとることなくできた。これも初めて。(^^♪ |
| 10月27日 | 遺言 | 先日、再入院へ備えて「お泊りセット?」を作り、併せて、土地の権利書や、保険証書など必要なものをまとめ、ついでに息子たちに向けて「遺言」のようなものを書いて入れたが、また書き直した。知らせて欲しい人の知らせてほしくない人をあえて入れた。人を失うことの悲しみからまだ癒えきってない人に、辛い知らせをするのは本意ではない。いつか何年後か、何十年後に、風の噂に知ってくれればいいのではないかと思うようになった。でも多分そういう人たちには、一番先に逢いに行くだろうな、なぜなら本当に逢って話をしたかっただから。 |
| 10月28日 | 台風一過 | 昨日の突然の台風で、一年がかりで大切に育てていた皇帝ダリアが5本中3本折れてしまった。蕾が開花間近だったのに・・・。あの風雨の中では、この身体ではとても補強にでることは出来なかった。 2日間ほとんど痛みもなく、これで良くなって行くのかなぁ・・・と期待していたが、昨夜から、胸、背中の痛みがまた出てしまった。今日もあまり体調良くない。 |
| 10月29日 | 検診 | 予定外の検診、睡眠剤が切れたので貰いに行く。ついでに腎臓の血液検査を受ける。ほぼ問題無しだったが、クレアチニン値が〜1.2mgのところ、1.3mgだった。まあ、一個腎臓がないわけだから、十分ですよとのこと。ただNaが上限ぎりぎり、塩分を調整するのはなかなか難しい・・・。痛みは、今日は比較的楽な方、こうして痛くない日が少しずつでも増えていけばと思う。 |
| 10月31日 | 朝から車で出かける。市役所へ次男の戸籍謄本取りに行く。午後も所用や買い物で、さすがに夕方は背中がパンパン。夕食の支度前に風呂で温まり、薬を塗る。だいぶ楽になる。 | |
| 11月2日 | 腹痛 | 体脂肪も7%台に落ちちゃったんで、たまには肉でも食わないとと思い、ほうれん草の豚シャブを食べた。これがいけなかったのか、夕食中に腹から背中にかなり酷い痛みがでてしまった。お腹中かき回されるような痛みは、ちょうど発作のときと同じようで観念した。あと数日で式だというのに・・・。電話は出来る限り我慢しようと思い、1時間くらい横になっていたら、少し楽になった。何か食べると必ず、お腹がゴロゴロなりはじめ背中や胸がいたくなる。怖くてなかなか食べる気にもならない。これも腸管出血の影響か・・・・。それとも今日は月命日でお墓まで歩いたり、夕方鋸使って、ちょっと力仕事したりしたのがいけなかったんだろうか・・・。 |
| 11月12日 | 3回目検診 | 動脈瘤の大きさも変化なしで2Km歩けるようになったことは前進と評価される。大動脈解離に関しては、一度裂けた血管は、元に戻ることはないとのことで、今後厳重な血圧と食生活管理で再発を防いでいくとのこと。一生、爆弾を背負って生きていかねば・・・。造影剤を入れてのCTスキャンは、やはり身体への負担が大きいらしい。できるだけ早く造影剤を体外へ流してしまわないと腎臓がダメージを受けてしまう。確かに造影剤入れた日は、身体の痛みが酷い気がする。残った腎臓も7割程度しか機能していないようで、尚更かも。 |
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