旅の概要

日 程:2000年9月23日(休)〜24日(日)

行 程:(1日目)上野駅6番線の6:30発普通列車の2号車に集合→高崎駅(乗り換え)→沼田駅9:12着、沼田駅前9:35発路線バス→戸倉、戸倉8:25発マイクロバス→鳩待峠11:35着。昼食後、鳩待峠→植物見本園→山ノ鼻→三叉→竜宮小屋16:10着・泊。(2日目)竜宮小屋7:00出発→下田代十字路→ヨッピ橋→三叉→山ノ鼻→鳩待峠着。鳩待峠発マイクロバス→戸倉。レストラン「健太」で昼食後、バス停前の温泉ホテルで入浴。戸倉15:10発路線バス→沼田駅前。沼田駅16:56発特急・水上8号→上野駅、解散。

参加者:横川、佐々木、長谷川、船越夫妻、若狭、峠舘、野竹(船越夫人の友人)の計8名


会員のレポート(写真は横川会員のデジカメと、佐々木会員のフィルムカメラからのCD-R提供によって掲載しています)
佐々木会員
 20世紀最後のシドニーオリンピック柔道100kg超級決勝で篠原が敗れました(2000/9/22)。VTRで見てみると、確かに相手の内股をかわした「透かし内股」とやらが決まっており篠原の一本勝ちで、瞬時の動きを見極められなかった審判の誤審です。しかし、素人目には相手側の優勢が続き篠原は防戦に汲々としているように見えました。ですから“世紀末の誤審”をあげつらうスポーツ紙と裏腹に「弱いから負けた。審判の判定に不満なし」のコメントを残して会場を去った篠原に爽やかさを感じました。

 「篠原の悲願のついえる」を報じたスポーツ紙を手にできたのは翌日の彼岸の中日(9/23)9:20a.m.沼田駅に着いてからのことでした。「山に登るのには鈍行に限る」という古臭い登山の美学を持ち出したのが自業自得で、辻堂駅が5:00a.m.、上野駅が6:30発ではまだKIOSKが開いている道理もありません。飲み物に読み物抜きの高崎線の長いこと。高崎線とは言っても群馬県内には高崎駅を含めて3駅しかありませんから実質的には埼玉県南北通貫電車です。朝鮮人民の感ずるのもかくやと思われるほどの南北間距離の長さです。


 途中「宮原」駅で船越夫人のご友人の野竹さんが颯爽と同乗、これで一行8名が勢揃いです。長竹、竹原の竹コンビ不参加を野「竹」で補うという奇遇会ならではの律儀さも見事ですが、新参ながら物怖じしない野竹さんの威勢のいい「女竹ぶり」もさすがで、後刻長谷川さんが「只者ではないなと感じた」と述懐した通りでした。なおも列車が進むに連れて退屈さが募った私は、車窓に時折現れる畔に咲く真っ赤な曼珠沙華に目を走らせながら、最近ハワイを旅行された横川さんのお土産話をお聞きして車内でも話の花を咲かせました。

 曼珠沙華といえば彼岸花。彼岸中日と言えば巨人が中日に勝てば今日にも優勝が決まります。オリンピックにプロ野球にイベントたっぷりの日になぜ尾瀬に向かわなければならないのか。実は、奇遇会メンバ−は、一昨年訪れて以来「秋の尾瀬」に病み付きになっていて、我々にとっては「秋が来れば思い出す遥かな尾瀬」なのです。しかも、一昨年(10/10-11)は紅葉には少し遅すぎた。今年こそピーク時の紅葉堪能の悲願達成とばかり彼岸に日を選んだのでした。オリンピックに背を向けプロ野球・巨人軍に不義理してでも彼岸に悲願を。

 高崎で乗り換えて沼田までがまた長い。昔はもっと早く着いたのにと、思い返してみたら当時は夜行列車を利用していたから寝ながらにして目的地に着いていたのでした。仕方がないので今度は「なぜ群馬出身の総理大臣が多いのか?」と言う問題を勝手に立てて瞑想(妄想?)にふけることにしました。上越線を延長すると角栄サンが現れる。新潟の首都圏直結が列島改造論の目玉になっていたに違いない。そして、福田、中曽根、小渕の親分衆が新幹線、自動車道敷設につき群馬内の地権問題で骨を折って角栄サンに恩義を売った。


 角栄仮説が外れているとしたら湿原仮説はどうだろう?群馬は、「シツゲン」は尾瀬に任せておける土地柄だから政治家は「シツゲン」しないですむ。そうだ、これに違いない。福田、中曽根、小渕の上州産三総理大臣は今の方のような失言常習犯ではなかった(ちなみに小生には不覚の続く森喜朗(シンキロウ)首相を詠んだ「森深く続く湿原蜃気楼」という迷句があります)。それにしても沼田は遠い。退屈凌ぎのショウモナイ駄洒落遊びにも飽きた。カカア天下と空っ風がこんなにも広い地域を席巻しているのだ。群馬県は広〜い。

 船越さんは奥さんに「おい、おまえ」と呼びかけます。これだけでも船越家がカカア天下ではないことが分かります。また、列車が沼田に近づいてから2両先のトイレに立たれた奥さんの戻りが遅いのを待ちかねた船越さんが奥さんの荷物を携えて迎えに行ったのは、セッカチ旦那とノンビリ女房の絶妙の取り合わせを実証する微笑ましい光景でした。船越家は、空っ風も吹かない非群馬県的風土とお見かけしました。


 さて、沼田駅で戸倉行きのバスを待っているうちに、天気予報で報じられていた通り雨が降ってきました。ノー天気が売り物の小生「大丈夫大丈夫、奇遇会イベントは好天気に決まっている」と根拠の無いうわ言をほざいておりましたが、雨粒が落ちてきては形勢不利です。それでも、雨合羽を着ての鳩待峠スタートに当たってもなお強気を崩さず、「大丈夫大丈夫、こんなの雨のうちに入らない」。雨の詭弁のスタートでもありました。

 鳩待峠から山の鼻への道はほとんど下り一本。雨で滑りやすい石を踏んでしばらく進むと今度は濡れた木道が続きます。戸倉から鳩待峠へのバスの中で観察して予測していた通り、夏の猛暑のためか今年は紅葉が遅いようです。彼岸の悲願達成は早くもあきらめモード。しかし峠舘さんは紅葉にはおかまいなしで、ひたすら自分の脚力を心配しています。「明日はこの道を登って来なきゃなんないのかよ!」。“峠”の名前は“ダテ”だったのか。

 山深ければ谷深し。谷川のせせらぎが足元よりずっと下から聞こえてきます。エゾリンドウ、ヤマトリカブトの鮮やかな紫が小雨の中に浮かび我々を迎えてくれて、まずは「尾瀬の秋は紫」序曲です。盛期を過ぎたオゼヌマアザミは同じ紫ですが、木道をすれ違う登山客の8割強を占めるJiji & Babaと似た風情です。しかしみんな元気。さすが長寿国日本。峠舘さん、負けるなよ。僕も負けない。ほうら、もう山の鼻に着いちゃった。

 山の鼻小屋近くの周回コースを軽く一巡して、いざ尾瀬が原へ。展望が俄かに開け、狐色をした湿原が視界に広がります。湿原にも微妙なアンジュレーションがあるためか、狐色にも濃淡があり、色調の変化が目を楽しませてくれます。これぞ秋の尾瀬、狐色のコンチェルト。ワレモコウ(吾亦紅)だって「我また紅なり」なんて頑張ってますが、花穂は暗紫紅色で、篠原ではありませんが素人目には「こげ茶優勢」なんです。


 草原と池塘と浮島に静かに降る秋の雨。濡れてむせぶよな秋の尾瀬。原の両側にある山々の木立からは霧雲が立ち一幅の墨絵の世界です。「尾瀬は雨でなくちゃ」と、またもや雨の詭弁。しかし、背後の至仏山は深い雲の向こうに姿を隠したままでしたが、行く手の燧岳は「ちょっとだけよ」と言いたげながら、奇遇会に敬意を表してしばし全容を見せてくれました。尾瀬ヶ原東西の横綱、一人は欠場ですが正横綱土俵入り。「いよ、東日本最高峰!」

 原を進むに従って、狐色を彩る紫に加えて、ヤマウルシ、ミヤマナナカマドの鮮やかな赤が目に入ってきました。こんな雨でも熱心なカメラマンがいるのです。池塘に映る狐色と赤の織りなすハーモニーを捕らえんと、シャッターチャンスを待ち木道上に佇んで。そんな一人に話しかけたら言ってましたよ。「こんな季節の移ろいがたまらなく好きなんです」って。「季節の移ろい感」…そうだ、これを狙って僕達も来たことにしよう。

 たどり着いた龍宮小屋。龍宮といえば乙姫様。本日も賑やかな乙姫の独演ステージとなりました。姓は野竹で名は紀子。北海道・厚岸の大牧場で生まれ育てられたせいか稀有壮大。性格がまさに「竹」で、強靭で反発力に富み多少のことでは挫けない。行動力豊かで、取得した各種資格を利して各種の職業や余技を経験し、それぞれに一家言(“いい加減”ではありません)をもたれています。そして話し上手。座持ちの上手な乙姫様なのです

  乙姫様は、「どこに言っても私は歯車に合わない」と嘆かれておりますが、それもむべなるかなと思います。歯車だとしたら、デッカイ歯車ですし、大体が自立的活動力豊かですから一歯車で収まっていられるタマではない。悲しいかな、新種日本女性を受け入れるまでに日本の職場環境が育っていないだけのことなんです。ともかく、奇遇会男子6名、乙姫様の独演をすっかり毒気を抜かれたようにひたすら拝聴しておりました

 しかも、この乙姫様はサービス精神旺盛です。これも職業にしてもよさそうな余技の指圧で長谷川さんや船越さんの足腰肩の患部を癒してくれます。お陰で長谷川さん、すっかりリラックスできて、「目から鱗が落ちた」とか「たいしたたまげた」とか訳がわからなくて古めかしいコメントの連発。龍宮城での浦島太郎のような表情をしていました。ただし、このシーンの写真は不要な誤解を避けるため横川ホームページからカットです。

 割り当てられた部屋は一人一畳の8畳部屋で、8式の布団を敷くのが精一杯の狭さです。早めの夕食タイムが終わると何もすることがなくて、なんと私は6時の就寝です。それでも乙姫独演会の最中に飲んだビールが利いたのかすぐに前後不覚。深夜に豪雨の音に目を覚ましましたが、あれはオリンピック決勝トーナメントで米国に敗れた日本サッカーの涙雨だったのでしょう。寝しなには、峠舘さんから「日本リード」を聞いていたのですが。

 「龍宮小屋」の名前の由来は、「渦を巻きながら湿原に消える長沢の水の行く末に龍宮を見た」からきていることを知りました。それほど、この龍宮地域の水脈は複雑だということなのでしょう。さて、明くる朝、豪雨の名残の残る中を、予定を1時間早めて7時に龍宮小屋出発です。時あたかもシドニー五輪女子マラソン高橋尚子と同時スタート。「雨中に体を張って声援しなくては」の雨の詭弁第3段。

 平和な筈の尾瀬ヶ原なのに「熊に注意」の立て看板が随所にあります。去年「東電小屋」周辺に現れてハイカーに危害が及んだのは知っていたのですが、今年も春に原で目撃されたとのことです。そんなこんなで、熊よけ鈴を購入された若狭さんが先頭に立って進みます。下田代十字路までは僅かな距離。驚いたことに、その間に雨が止み合羽が不要になったのです。若狭さんの鈴は、もしかして雨よけの鈴だったのかもしれません。

青空が広がり、原の向こうに西の横綱・至仏山も姿を見せてくれました。こうなると、雨のため健脚者向けの至仏山登山をあきらめたのが残念ですが、その代わり、全員でゆっくりの尾瀬ヶ原探訪を楽しみます。船越夫人のガイドブックとの首っ引きの“検証”により、ウメバチソウ、オゼミズギク、ミヤマアキノキリンソウ等の名を知ります。みんな野に咲く花なのですが、小さくて可憐な姿で、原に白と黄のアクセントを副えています。

 やがてさしかかるヨッピ川は、下ると三条の滝となり、更に只見川となるのですが、昨晩の豪雨にもかかわらず、あくまで水清く爽やかな瀬音を立てて流れています。ここは尾瀬ヶ原には珍しい林間の道、橋を渡れば東電小屋はすぐそこです。目をこらせば、木々の葉に黄色が僅かに見られます。まさに「季節の移ろい」。長谷川さんに「女性で言えば?」と問えば「37-8歳かな」との期待通りの答え。さすがは“女性評論家”です。


 「1週間してまた来てみようかな」は横川さん。是非是非どうぞ。40歳を迎えた熟女の艶やかな姿を堪能することができるでしょう。そうこうするうちに、東電小屋を過ぎ、蛇行したヨッピ川の吊橋を再度わたると、再び狐色の世界です。イヤホーンでラジオを聴いている船越さんから「高橋尚子トップ」の朗報が伝わります。「こけるなよ、こけるなよ」と念じて歩を進めていると、後方から「わあ、どすん」。なんと船越さんがコケてました。

 「高橋尚子優勝」を聴いたのは、牛首の三又に向かう木道の上でのことでした。勝利を確信した船越さんがイヤホーンを外して、最終2kmの実況放送を聴かせてくれたのです。「やった―」。日本女子の陸上競技金メダル獲得を20世紀の歴史に残してくれた。世紀末の悲願達成を何とか我が記録にとどめたく、夢中になってシャッターを切りました。歴史的瞬間の至仏山と船越・佐々木両名の喜びの表情を収めた写真は値打ち物になる…かな?

 朗報は、先行して三又に到着していた6名にも“峠舘特派員”経由で伝わっていたらしく改めて喜びをともにしました。これで我々の尾瀬散策も一層印象深く忘れ難いものとなることでしょう。三又から山の鼻への道は昨日通った道です。しかし、今日は青空があり、光る狐色の原の背景にたおやかな至仏山の姿が見えます。池塘には、雁と思しき渡り鳥のペアまで現れて、ゆっくり泳ぎ餌をついばんで尾瀬ヶ原の秋への移ろいを演出しています。

 しかし、ヒツジグサは未だ蕾のままです。スイレン科の小型種で、その純白で端正な花姿を昨日は池塘の水面に見せてくれていたのですが。恐らく未(ヒツジ)の刻(午後2時)に開花するという名前の謂われを裏切るまいと時刻厳守に努めているのでしょう。小さな花びらを頑なに閉ざしている姿を見ると、ヒツジグサの前世は小柄で身持ちの堅い美少女だったんじゃないかと思えてきます。“女性評論家”殿は如何お考えでしょうか?

 程なく山の鼻小屋到着。「きのこ汁」の貼り紙が目に入ります。きのこ汁を食さずして尾瀬に来たと言うなかれ」…早速、若狭さん、長谷川さんと尾瀬の味覚に挑戦です。「何が入っているの?」の問いに対する店員の「きのこです」の答には「頭にきのこ」という古くてサブい憤りの言葉も出ず呆れるだけでしたが、尾瀬現地産という数種のキノコと自家製と思しき味噌の味わいはなかなかのもので、舌でも秋の尾瀬を満喫することができました。

 至仏山と鳩待の水を集めて流れる清流・川上川を渡れば、いよいよ尾瀬とお別れです。橋のたもとにマユミの木がありました。ニシキギ科だそうですから、紅葉すれば錦の如くなるのでしょうが、「今年は紅葉が遅れているのでせめて“紅実”を」とばかり精一杯真っ赤な実をつけて、愛嬌たっぷり我々に別れの挨拶を送っています。「ミを挺して尾瀬の秋を演出する」マユミちゃん。こちらの前世は、気立ての良い飲み屋の姉さんでしょうか?

なおも立ち去りがたく、橋の上から澄明な渓流に目を凝らしていると、尺イワナのペアが悠々と泳いでいるのが見えました。昨日鳩待峠を発って以来、水流に出合う都度イワナの姿を追い求めてきたのですが果たせず、かつての魚影今いずこと密かに胸痛めていたのですが、ようやく帰り際に至って「イワナの宝庫・尾瀬」がその片鱗を見せてくれました。ありがとう尾瀬。色々気をもませながら、結局は今回も大きく期待に応えてくれました。

 帰心矢の如しで、帰路の難関・鳩待峠もほぼ予定時間内で登りきりました。懸念していた峠舘さんの健闘が光ります。なせばなる。戸倉にバスで戻って、ドラエモン声の肝っ玉母さん経営の「健太」でマイタケ尽くしの昼食。長谷川さんの「お袋の料理を」のリクエストに「よっしゃ」と答えて女将が出してくれたつまみがビールに合って、喉の乾きも一気に解消。水良ければ酒も良し。地酒の「水芭蕉」がまた美味かった。尾瀬は飲んでも良し。

 仕上げは最寄の旅館での温泉入浴です。片品川を見下ろす浴場の窓外には大きな栗の木が二本あってたわわに実をつけています。里の秋景色を眺めながらのノンビリ入浴。泉質が滑らかで、「お肌つるつる」の看板に偽りはありませんでした。バスでゆっくり山旅の疲れを癒したところで、沼田行きのバスで今度はこっくり舟を漕ぐ。予定を1時間早めて山小屋発ちしたのが利いて、特急券手配済みの便を早めに切り替えての帰京可能となりました。

 特急券買い替えで手間取っているところにガラガラの特急列車到着。ご無体なお代官様みたいな駅員の制止を振り切って、これに飛び乗ったのが良く、帰宅してみれば巨人・中日戦9回の表でテレビ観戦に滑り込みセーフ。我が巨人軍の敗色濃厚でしたが、昼間の高橋尚子の世紀末快挙があっただけに、仄かな期待をもって観戦していればあの大逆転劇で4年ぶり悲願の優勝でした。これも長く語り継がれる世紀末の歴史的快挙でしょう。

 それにしても昨日の雨に対して今日の晴天。昨日は篠原と日本サッカーの悲願がついえたのに対して、今日は高橋尚子も巨人軍もともに悲願達成です。一夜明けての天国と地獄。「暑さ寒さも…」でもありませんが、「悲願達成、なるもならぬも彼岸中日まで」とでも言えそうなところでしたね。シドニーと東京ドームと尾瀬ヶ原と、欲張りな奇遇会らしく多彩で変化に富んでいて、いつまでも忘れられそうもない二日間を過ごすことができました。


横川会員
 はじめて尾瀬に行かれる方へ!!「携帯(電話)忘れても、ゴミ袋・灰皿忘れるな!」

沼田駅から路線バスに乗り込むと、再び同駅にもどるまでゴミ箱は何処にもありません。バス停は云うにおよばず休憩所にも山小屋にも。灰皿も山小屋の中にはありましたが休憩所にもバス停にも一切ありませんし、尾瀬ヶ原の板道のかなりの部分が喫煙禁止区間になっています。また、山小屋のお風呂では石鹸・シャンプーが使用禁止となっているなど、生態系を乱さない自然保護策が徹底しています。

 携帯電話も戸倉・尾瀬一帯はサービス圏外となっており役に立ちません。利用者が少なくて採算が採れないのか、はたまた電磁波による自然破壊の防止策なのでしょうか?

 何れにせよ尾瀬方面に出かけるときは雨具の他、ゴミ袋、携帯用灰皿が必携品となります。それに休憩所のトイレがチップ制になっていますから100円硬貨もお忘れなく。


リンク
尾瀬周辺の各種情報を提供するWeb「尾瀬をいだく村・片品にようこそ」および「尾瀬保護財団」のホームページにリンク